その一、藤臣署長の憂鬱
「うーん、困った」
ここは七尾警察署の署長室。
我らが藤臣功の父親、藤臣署長は部下の早瀬刑事と共に、難しい顔をして机の上に広げられた大きな地図をのぞきこんでいた。
地図には赤い小さなバッテンがいくつも書き込まれている。
ゴールデンウィークが近づいているというのに、功と千津美の住む街は重苦しい空気に包まれていた。
この一ヶ月というもの、1人住まいの女性宅やコインランドリーを狙っての女性の下着の盗難事件が多発していたからだ。
当初はすぐに犯人は捕まるだろうと思われたが、警察は何度も捜査の裏をかかれ、一向に犯人逮捕の兆しは見えない。
被害のあった場所につけられる赤いバッテン印は日を追うごとに増えていき、七尾署の警察官たちの顔は焦りの色が濃くなっていった。
「だから署長!あいつ以外に考えられませんよ!」
署内一の大柄な体躯をほこる早瀬刑事はバンっと机を叩いた。
「紫田心萌三…!任意で引っ張って締め上げれば…!」
藤臣署長は地図の傍に置かれた一枚の写真に目をやった。
色白で細面、切長の目、ハンサムだが狡賢そうな男が藤臣署長に不敵に微笑んでいた。
紫田心萌三(したごころ もえぞう)
藤臣署長がこの名前を聞くたびに気が重くなるのは、この男が次男坊の功と同い年だからだろうか。
紫田心萌三はこの街でも有名な資産家の息子である。
子供の頃から近所でも評判の秀才の上に、運動神経も抜群で体操部で活躍し、将来はオリンピック選手に…とまで期待されていた。
ここまで聞くと絵に描いたような恵まれた青年だと誰もが思うだろう。
しかし萌三にはどうしようもない欠点もあった。
「手癖が悪い」こと、そして「女性の下着に並々ならぬ強い執着がある」ことだった。
なお、ねこまんま様の名誉の為に言っておくが、パンツ好きだからといって、この男はねこまんま様とは何の関係もない。ただの偶然である。
そのせいで萌三は勉学や体操部で優秀な成績を収めながら、何かと問題を起こし続け、七尾署では要注意人物とマークされていた。
だが父親が名士ということもあり迂闊には手が出せず、刑事達は歯軋りしていた。
「早瀬くん、君も分かってるだろう…紫田心は度胸が座っていて頭が良い、口も達者だ、自白させるのは至難の技だよ」
「しかし…!」
「それに自白を強要されたと騒ぎたてたら?あの父親が出てきたら厄介なことになるぞ」
「くそっ…!結局は金の力ですか!」
早瀬は悔しそうに頭を掻き、背広の内ポケットからボロボロの手帳を出した。
「せめて、次の犯行場所が特定できれば…なんつーか本当にわけわからん奴ですよね…高校時代の奴の友人の話じゃ、物知りで、テレビの子供向けのクイズ番組で何度も優勝してるし、学校じゃずっと飼育係をやってて動物には優しかったとか…何より女性が大嫌いで有名だったそうです…どうして下着泥棒になったのか(汗)」
「…まあ確かに、犯行の手口からは妙な矜持みたいなものは感じるな…今のところ暴行を受けた女性は出ていないし、高齢者や子供の被害者も出ていない、金や高価な貴金属類も盗まれてない、下着だけが綺麗に消えていく…」
早瀬はウンザリした表情を浮かべた。
「義賊気取りでもしてるんですかねえ…(汗)でも女性にとっては下着は貴重品ですよ!やはり許し難いです!あ、そうそう、あいつ、女嫌いだけど、小柄で清楚で可愛い女性はタイプだったそうです…でもこれだけの情報では、次の犯行場所を特定するのはとても…」
(…小柄で清楚で可愛いタイプ…?)
藤臣署長は何か閃いたように目を大きく見開いた。
「しょ、署長…?」
藤臣署長は身をを乗り出して地図を覗き込んだ。
(やっぱりー!)
「ある場所」とその周辺にだけ、赤いバッテン印が一つもついていなかった。
(そうか、どうして今まで気がつかなかのかー!)
藤臣署長の口元にゆっくりと微笑が浮ぶ。
「早瀬くん、どうやら紫田心にも鬼門はあるようだ」
「え?」
きょとんとする早瀬に、藤臣署長はイタズラっぽくウィンクした。
「次の犯行場所、特定できるかもしれん」
その二、カフェで何やら悪巧み
一方、毎度お馴染みカフェ「黙面様」の一番奥の個室エリア。
胡散臭そうな男三人組がヒソヒソ話をしている。
そのうちの2人はひかわ作品の読者の皆様もよく知る人物だった。
そう、『銀色絵本』で藤臣くんと千津美に散々な?目に遭わされた、あのケチなヤキトリ二人組、焼田と取手である。(まみらしく、安直なネーミングである)
『銀色絵本』の一件から、柳史孝はすっかり大人しくなってしまったので、2人は新たな金蔓として、紫田心萌三にひっついていたのだ。
だがどうも今日の2人の顔色は冴えない。
焼田「紫田心の兄貴…あの志野原って女には手ぇ出しちゃいけねえ!」
取手「そうですよ!あの女のせいで柳も俺達もどんな酷い目にあったか…!あんたにも話しただろ!?」
2人は向かいの席に座っている、小柄で痩せ型のキツネ目の男を必死に説得していた。
男はふんっと鼻を鳴らして、バカにしたように言い放った。
「お前ら、俺を諦めさせようなんて無駄だぜ」
ヤキトリ二人組は困ったような表情で互いの顔を見合わせた。
焼「あんなガキっぽい女のどこがそんなに良いんですか!?どう見たってセクシーな下着を持ってるようには見えねえし…」
取「そうですよ、あの女の持ってるパンツなんて『ファッションセンターまみや』で売ってるような色気もクソもねえ安物ですよ、間違いありません!骨折り損になるのは目に見えてますよ!」
「お前らは分かってねえな」
萌三はニヤリと笑った。
「最近の女ときたら、みんな揃いも揃って、似合もしねーのにワンレンだボディコンだブランドバッグだ、お前がユー⚪︎ンの歌ってツラかっての!メシを奢っても礼一つ言わねえし、夜中でも平気で車で迎えに来いと呼びつけるし、男をまるで下僕扱いしやがって…!!!」
「嫌に具体的ですね…」
「うるせえっ!!!」
「それに引き換え、あの志野原って子は…」
萌三はうっとりと遠い目をした。
「志野原千津美…清楚で可憐でピュアで、まさに日本の絶滅危惧種じゃねえか!そんな彼女のパンツだぜ、俺のコレクションの集大成にふさわしい!!!」
「そ、そうですか…?」
ヤキトリ二人組には全く理解でいない気持ちだった。
「でも…兄貴、知ってますよね、あの女の恋人の藤臣ってのが…」
「それを言うな!!!」
萌三はくわっと牙を剥いた。
そうなのだ…古びた木造アパートに住む、純情可憐でいかにもおとなしそうな女の子。
萌三ははじめ、千津美のパンツを盗むのは楽勝だと思っていた。
ところが…(ここから回想シーン)
萌三が千津美のアパート周辺の下調べをはじめて3日目、そこへ千津美が、恋人らしき男と共に帰宅してきた。
慌てて物陰に隠れる萌三。
「じゃあ、夕飯は肉じゃがでいい?」
「ああ、お前の料理は何でも美味いよ」
仲睦まじい恋人同士の会話に好奇心を抑えられず、、萌三が声の方を覗いてみると…
「!!!!!!!!!!!」
千津美と一緒にいる男を見て、萌三は顔面蒼白となった。
大柄な体躯、彫りの深い精悍な顔、ザンバラの黒髪、鋭い眼差し。
(あ、あああああれは…ま、間違いない…!元北高の藤臣功…!!!!)
「…?」
功は何やら視線を感じて、萌三のいる方を素早く振り返った。萌三は慌てて頭を引っこめる。
「…?」
「…どうしたの?藤臣くん」
「いや、何でもない、気のせいか…志野原、早くメシにしよう、俺も手伝うよ」
「うん、ありがと♪」
功と千津美は仲良く部屋の中に消えていった。
萌三は呆然と立ち尽くした。
「あ、あいつがあの子の恋人!?…そ、そんな、何かの、何かの間違いだ!!!」
萌三のよく知る不良仲間を何人もボコボコにした伝説の猛者・藤臣功
命がおしければ絶対に関わってはいけない男・藤臣功
思いもかけぬラスボスの登場に、萌三には目の前の小さな木造アパートが、もはや難攻不落の熊本城にしか見えなかった。
千津美の部屋の窓を仰ぎ見ると、ベランダの物干し竿には大きなサイズのブルーのトランクスが、まるで萌三を嘲笑うかのように、春風にはためいている。誰のものかは説明は要るまい(赤面)
「…お、俺の欲しいパンツはそれじゃなーーーーーい!!!!」
萌三は叫んだ(心の中で)
「ちっくしょう!!!あんなショートケーキみたいな彼女に、なんであんな『北⚪︎の拳』とか『魁!⚪︎塾!』みたいなのが恋人なんだ!!!世の中間違ってる!」
萌三は荒々しくテーブルを叩いた。
焼「要はあの男が怖くて手が出せないんですよね…?」
「うるせえ!怖くなんかねえ!!!」
取「兄貴ぃ、悪いことは言わねえ、やっぱやめた方が身のためですよ!あの柳ですら、すっかり毒気を抜かれて大人しくなっちゃちまったんですから…」
「ふんっ、柳はよ、大したこと出来ねぇくせにプライドばかり高けえナルシストだっだがな、だが俺は違うぜ!それに…」
萌三は勝ち誇ったように右の口の端を上げて笑った。
「どうやら運命の女神は俺に味方したようだぜ?」
ヤキトリ「え…?」
「…この間偶然、その藤臣をこの店で見かけたのさ、あの窓際の席で兄貴らしい男と話してて、隣の席に座って聞き耳を立ててたんだが、今度のゴールデンウィーク、なんでも大学のセンコーが札幌で講演会をするとかで、お供でついていかなきゃならないんだと」
「え!?」
「しかも俺が探りを入れたところ、あのアパートの他の住人も旅行だ里帰りだとかで、みんな留守にするらしい、ゴールデンウィーク中はあのアパートにいるのはあの子だけなんだ!千載一遇のチャンスだぜ!やはりパンツの神様は俺を見捨てなかったぜ!」
(どんな神様だよ…)
ヤキトリ二人組はゲンナリし表情を浮かべた。
正直、もう危ない橋を渡りたくない。だが真っ当なバイトをするより、気前の良い萌三と連んでいた方が沢山の小遣いが楽に手に入る。
そのため中々生き方を変えられない、哀れな二人であった。
その三、決戦はゴールデンウィーク
そして、時は過ぎ、5月3日の夜10時…
三人がアパートに到着すると、千津美の部屋だけにポツンと灯りをがついていた。窓に掛けられたピンクカーテンには千津美の小柄で華奢なシルエットが行ったりきたりしている。
「ふんっ」
萌三胸はチクリと痛んだ。
「せっかくのゴールデンウィークなのに彼氏に置いてかれて安アパートで1人お留守番か…かわいそうなこった!」
ヤキトリ「兄貴ぃ、やっぱやめましょうよ〜」
「うるせぇ!俺は一度決めたことは必ずやり遂げるんだ!困難が多ければ多いほど燃えるんだ!」
萌三が黒い目出し帽を被ると、ヤキトリ二人組もしぶしぶ後に続いた。
「野郎ども、行くぜ!」
「はーい…」
三人はアパートの階段を駆け上がっていった。
さあ、どうなる千津美! 危うし、千津美!
…だが、読者の諸君、何か変だとは思いませんか?
あの!藤臣くんが千津美を一人置いて遠い場所になんか行ったりするんでしょうか…?
そう、この後三人には恐ろしい運命が待ち構えているのである。
乞うご期待!